何かとめんどくさい人間関係を円滑にするコミュニケーション術 

 

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私達は生きている以上人間関係を避けて通る事はできない。苦手、嫌い、めんどくさい・・・職場やご近所など、どうしても避けることができないわずらわしい人間関係をいかにうまくやっていくかは、人生の質に関わる重要な問題だ。逆に、自分が深く関わりたいと思っている人といい関係を築くというのも、結構難しいものだ。今回は、常に私達の人生につきまとう「人間関係」を円滑にするためのコミュニケーションにおけるちょっとしたコツをお伝えする。考え方一つで、いちいち胃がキリキリしていたアイツとの関係が劇的に改善されるかもしれない。

 

 


1.面倒な相手の対処法


 職場の同僚や先輩の中に付き合いづらい人の1人や2人誰でもいるだろう。やたらと絡んでくる、何故か自分にだけ冷たい、いつもバカにするような態度を取られる、説教がクドクド長い・・・こちらにミスがあったか色々考えてみるのだが、思い当たる節がない。直接聞きたいが気後れして、いざとなると我慢してストレスを抱え込んでしまう。職場だと移動や退職などがないかぎり、その人との関係を続けざるを得ない。毎日顔を合わせているうちに、だんだん気分が落ち込んで・・・気がつけば鬱になっているかもしれない。これだけは避けたい。あなたの人生の質を他人に下げられてしまうなんてバカバカしいではないか。しかし、八方塞がりだ。この状況から抜け出すには自分が職場を去るしか無い。しかしそんなことをすれば、それこそ最悪の敗北だ。ではどうすれば、この状況から抜け出すことができるのだろうか。

 多重人格というのはご存知だろう。ジキルとハイドでお馴染み、映画やドラマなどで見た事があると思うが、1人の人格の中に多数の他の人格が宿り、1人が表面に出てきている時はそれ以外の人格は奥に潜んでいるという精神疾患だ。正式の病名は解離性同一性障害という。奥にいる間は、他の人格によってなされた行為の記憶が全くない。一方の人格が凶暴な性格で、暴力事件を起こして牢屋に入れられ、牢屋の中で元の穏やかな人格に戻ると、暴力事件の記憶そのものがなく、なぜ自分が牢屋にいるのか全く理解できない。これは過去に受けた精神的な強いストレスによって、自己を守ろうとする働きから起こると言われている。自分に向かってくるストレスの原因を、自分の中に「他人」を作り、その人格に受け止めてもらう事によって避けようとする精神の働きだ。この障害は悲劇的だが、重要なヒントが隠されている。そう。このシステムを応用すればいいのだ。


心に”サンドボックス”を作る。

 極普通の人間が、自分の中に他人の人格を作り出して、起動するというのは難しいだろう。だが、この防御システムを模倣することができれば、似たような効果を生み出すことができる。自分にストレスを与える存在は、言ってみれば「ウイルス」のようなものだ。リアルなウイルスを防ぐには、マスクが有効だ。心にマスク?若干イメージしづらい。同じウイルスでもコンピューターウイルスならどうか。
 

 コンピューターウイルスを防ぐ方法として、「サンドボックス」というものがある。サンドボックスとは、外部から受け取ったプログラムを保護された領域で動作させることによってシステムが不正に操作されるのを防ぐセキュリティ機構のことをいう。この箱の中でウイルスが悪さをするかどうかを確認し、侵入するのを事前に防ぐというわけだ。このサンドボックスを、自分の体の前にイメージしておく。自分の中に他人の言葉が入ってくるには、まずこのサンドボックスを通ってくるというイメージだ。何を言われても、それはまだサンドボックスの中にある。ダメージは自分が受けているから発生するのであって、目の前のサンドボックスの中にあるうちは、何の関係もないのだ。どれだけ辛辣な言葉や、嫌味を言われても、それはあなたの中に入る前にサンドボックスでチェックされ、自分にとってネガティブという判定が下れば、取り入れずに廃棄する。

 このバリアーをイメージできれば無敵だ。どんな嫌な上司の言葉も、同僚の嫌味も、受け取るに足る理由がなければ即廃棄できるというわけだ。このサンドボックスには別の利点もある。他者からの言葉をよく吟味する力が付くという点だ。もしかしたら、自分の行動に問題があるかもしれない。他人の指摘が正しいという事もある。他人からの辛辣な言葉が、実は正しい助言かもしれない。一度サンドボックスに入れて、その言葉を分析し、単なる嫌味なのか、意味のある助言なのかじっくりと考える事ができるのだ。熟考する事によって、嫌な言葉を受けた時のインパクトもなくなる。言葉による不快感というのは、不意をつかれたことによる衝撃が原因になることが多い。サンドボックスはこの衝撃そのものを緩和する役割も果たしているのだ。

 

 

 


2.仲良くなりたい人へのアプローチ法

 人間得手不得手というものがある。運動がものすごく得意だが、数学がまるでだめな人もいるし、音楽は得意だが、絵心はまったくないという人もいる。友達作りもそんな能力の一つであり、得意な人の周りには常に人が集まり、楽しそうな笑いが絶えない一方で、苦手な人はいつも1人で読書に耽っている。私はそれ自体に良い悪いというジャッジをつけるべきでないと思う。あえて苦手な事にチャレンジするのは意味のない事ではないが、あまりに苦痛ならばやめておけと思う。世の中はやたらと繋がりだの、絆だのと、人との関係が広ければ正しいかのような空気が蔓延して、少々パラノイアチックに感じる。むきになってまで人との関係を構築することにどれほどの意味があるというのか。名刺の数で自分の社交性を誇りたいような人は好きにすればいいが、どれだけ薄い関係が広がったところで、その人にとってそんなものは財産とは言えない(仕事が舞い込む可能性が拡がるかもしれないので全否定はしないが)

 といきなり、世の中の「絆妄想」をdisってみたが、本当に親密になりたい、と思う誰かがいるのであれば、友達作りの能力を身に付けたいと思う気持ちもわかる。しかし、友達作りは、簡単な人にとっては本当に簡単だが、苦手な人にとっては恐ろしくハードルの高い難事業だ。他人とコミュニケーションすること自体が苦手なのに、特定の人と親密になるというのは、その人に自分を気に入ってもらう必要があるわけで、そのあまりに壮大すぎる事業を前に、シミュレーションしただけであきらめてしまうだろう。どうやったら、彼のようにサクサクと友達を作れるのか・・・。重要なのは、「環境作り」「アクション」である。※初めに断っておくがこれはあくまで「友人」として付き合う為のきっかけ作りの方法であり、男女とも有効ではあるが、例えば異性に対して友人以上の関係を求める為のアプローチのノウハウではない。それは友人関係を遥かに超える緊密な人間関係であり、いわゆるパーソナルスペース(他人にそれ以上近づかれると不快を感じる限界の距離感)の内側に入る為のノウハウが必要になる。


まずは、意識的に顔を合わせる機会を作り出す。(環境作り)

 昭和の少女漫画の典型的な男女の邂逅シーンといえば、遅刻しそうになっている食パンをくわえた女の子があわてて走っていると、ある街角を曲がったところで自転車と鉢合わせ、ころんで目から☆が・・。「大丈夫?」と声をかけられ、見上げるとイケメンだった。恥ずかしくなり慌ててゴメンナサイと言うと、女の子は学校のほうにかけていってしまう。なんとか遅刻せずに間に合った彼女が教室に入って席につき息を整えていると、先生が1人の転入生をつれてくる「あ!」それはさきほど角でぶつかったイケメン君だった・・・。という感じだが、ここにはある種のテクニックが隠されている。それはどちらのテクニックかはわからないが、お互いを印象づける為に、ハプニングを利用しているという点だ。

 それが例え偶然であっても、短い時間に誰か特定の人に何度も出会うと、人間は「この人とはよく会うな・・」とちょっとした「絆」めいたものを感じる。その段階ではまだ半分偶然と思っているが、それが度重なると「確率的におかしいくらいよく会うな」と意識し始める。この感情を利用するのだ。この時重要なのが「さり気なさ」だ。会う度にジトーッとした目つきで見つめたら、完全にストーカー臭が出てしまう。それが数回繰り返された段階で相手に絶対的な警戒心を与えてしまうので、何度かのすれ違いが、さも偶然であるように「演出」する事が大切だ。


共通の話題はあっという間に距離を縮める(アクション)

 相手に自分の顔を印象づけたら、タイミングを見つけてハードルの低い共通の話題で話しかける。その時点での距離感でこれは変わってくる。例えば社内の誰かなら、その人が携わっているプロジェクトについて聞いてみるのもいい。相手の趣味が何かわかるなら、それを話題にしてもいい。できればその時点でその趣味についてそれなりの知識を持っていることが望ましい。相手の仲間意識を刺激できるからだ。同好の士は親密な友人関係を築きやすい。相手は自分と同じ趣味を持っていると思った瞬間に警戒心を解いてくれる。ただ、相手の趣味がマニアックかつ深く、いわゆる「おたく」に属する知識を持っている人の場合、中途半端な知識を披瀝すると、かえって向こうのあなたに対する興味は一気に冷めてしまうので注意が必要だ。
 

 相手が同性だろうと異性だろうと、あなたは好意を持ってもらいたいと思っているのだから、当然相手の喜ぶ顔は嬉しいはずだ。話を始めたら相手を喜ばせたいという気持ちがわくだろう。しかし、あまりトークスキルのない人が相手を喜ばせようと頑張りすぎると、空回りする危険性がある。安全なのは、「自分は君といると楽しい」という空気を作ることだ。どうすればいいか。相手の話を聞いて普通に楽しむことだ。仲良くなりたかった相手の話が楽しくないはずはない。それをあくまで自然に表情や態度に表せばいい。どんな人でも、自分の話を喜んで聞いてもらえば嬉しくなるものだ。会話で重要なのは喋る能力より、聞く能力だ。相手の言葉にしっかりと耳を傾け、きちんと言っている事を理解して反応する。相手は自分が言っている事を聞いてもらっているというだけで、親近感を抱く。お互いの距離感が縮まれば、あとは自然の流れに任せればいい。

 

 私達は多くの時間を他者と共有して生きている。その時間が楽しくなるか苦痛になるかで、人生の質に大きく差が出てしまう。お金をたくさん持っていても、人間関係が苦痛にまみれていたらひどくつまらない人生になってしまうだろう。なるべく苦痛を減らし、すばらしい人たちに囲まれて生きていきたいものだ。