江戸の職人の技が光る 伝統工芸の名品7選

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 江戸に伝わる名品がある。その技は脈々と受け継がれ、時代を超えて私達を魅了する。どれも職人の魂が宿り、一つ一つが芸術品の香りを放つが、工芸品はあくまで生活の中で生きる。生活の風景の中にそっと溶け込み、あくまで主張しない。見てもらう為だけに存在するアートとは違い、生活の中で使われることに、その存在価値がある。

 機能美という言葉がある。人が便利に使うために研ぎ澄まされた無駄のないフォルムには、美が宿る。工芸品の美とは、まさに余計な装飾のない佇まいそのものだ。過剰な額で飾られることも、ガラスケースに入れられてスポットライトを浴びる事もない。私達の生活空間にさりげなく置かれた、その場所こそが工芸品達の舞台だ。

 今回は私が接した事のある7品を紹介しようと思う。私自信が所有しているものもあるが、実家にあったもの、知人宅にあったものなど、たまたま私の人生を通り過ぎたことのある品に限った。江戸工芸を網羅しようなどという野望は到底持ち得ない。江戸文化そのものを語り尽くす知識も才能もない私に、とりあえずこの七品だけ紹介させてほしい。

 


1.総火造裁ち鋏(そうひづくりたちばさみ)

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 総火造裁ち鋏は、江戸刀匠より受け継がれた伝統技法によって、一本の鉄板と刃になる鋼(はがね)を1000℃の炎と鍛冶の金槌裁きのみで叩き合わせて造りあげる。真っ赤に焼けた鉄の棒を叩いては伸ばし、曲げていく。輪(握りの部分)の穴もいぼ(親指部分の輪の突起)もすべて叩く事で作り出す。細かい曲線などを槌使い一つでつくり上げるその技には、刀鍛冶の技術をさらに高度化させたような印象を持つ。
 振り上げた槌のおろし具合が肝だと思っていたが、熟練が出るのは左手で持つ金箸(かねばし)の使い方なのだそうだ。修行の世界ではあるが、やはり素質というのがモノを言う。才能のある弟子はすぐにわかるそうだ。今回紹介する菊和弘の総火造刃物は、ベルトハンマー (鉄をハンマーで打つ機械)等は一切使用せず、鉄に鋼(ハガネ)をのせて熱し、叩いて接着(鍛接)する。目で見ながらひと振りごとに微妙な強弱をつけ手打ちですべてを作り上げるのだ。鉄の棒板から鋏の形にするまで、約2000回叩く。当然この製法では量産は難しく、一日1~2丁程度だという。

 鋼部分に使われているのは、日本最上級の安来鋼(やすきはがね) 日立青紙弐号というもので、高価な鋼ほど熱に弱くすぐにボロボロになってしまうため、温度を低く抑えて叩かなければならないのだそうだ。低い温度で叩かれたものは鋼の密度が上がり、より良いものができるという。
 日本刀を思わせるその輝きが2枚合わさり、やさしく布を裁つ。

伝統の刃物 -菊和弘-

 

2.江戸鼈甲 

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 鼈甲細工とは、海亀の仲間のタイマイの甲羅を何枚か重ね、水と熱を加えながら圧縮して作る技法だ。鼈甲細工の歴史は大変古い。正倉院宝物の杖や琵琶の一部にタイマイの甲羅が使われている。

 「江戸鼈甲」が作られ始めたのは1600年頃と言われ、当時は甲羅をそのまま使うなど、まだ技巧的には単純なものだった。元禄期(1688-1704)に貼り合わせの技法が江戸に伝えられ、複雑な造形ができるようになった。タイマイとその甲羅で作られた細工物は、江戸時代までは「玳瑁」と呼ばれていた。水野忠邦によって贅沢を制限する奢侈禁止令(天保12年 1841年 天保の改革)が出され、玳瑁が使用できなくなった。これをまぬがれるため、鼈甲(すっぽんの甲羅)という呼称が使われるようになったという。江戸の商人の洒落心を感じるエピソードだ。

 数ある江戸鼈甲細工の中でも、鼈甲眼鏡はその素材と優美なフォルムがとてもマッチする。薄い琥珀色から深い黒まで、柔らかい微妙な色合いの変化と艶が自然の装飾となって、なめらかな手触りと共に独特の素材感を醸し出す。鼈甲は色味によって分類されている。部位と色によって、尾の周りの4枚の甲羅から取れる黄色で透明感のある部分が白甲、赤みの強いオレンジ甲、背中部分で少し斑の入った白ばら甲、背中の部分の濃茶を合わせた黒甲、赤みの強いトロ甲、自然の斑点を活かした茨布甲(ばらふこう)と呼ばれる。白甲が最も高価で、薄い琥珀色の液体のような透明感はいつまでも眺めていたい誘惑にかられる。適度に斑の入った白ばら甲で作られたものは、最も鼈甲らしさが感じられるもので、自然な色合いの変化を楽しむことができる。

大澤鼈甲 - OSAWA BEKKO -

 

3.江戸指物

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 指物とは釘やねじを一切使わず、材同士の枘(ほぞ・・材の一方に削りだした突起部分)と枘穴(ほぞを差し込む為の穴)を接合して組み上げた、和家具の事である。大きさもさまざまで、手鏡、硯箱から、文机、衣装箪笥など、ありとあらゆるものを指物の技術でつくり上げる。ほぞとほぞ穴の種類は多岐にわたり、中には高度なパズルのようなものもあって、その発想に驚嘆する。
 江戸中期、消費生活の発達につれて大工職の仕事が細分化されていく中で、指物師も生まれた。この時代に釘はまだ貴重品であり、この技術が必要とされたのだ。過剰な装飾がなく木目を活かした端正なその作りは、日本人の美意識そのものだ。
 材はその用途によって、桑、杉、桐、栃、タモ、黄蘗(きはだ ミカン科の植物)、枳棋(けんぽ クロウメモドキ科の落葉高木)などを使い分ける。特に木目が美しい桑や枳棋は材として好まれる。木目を際立たせる為に、仕上げに拭き漆を施す。指物は分業がなく、一人で一品を仕上げる。だから、作った人の品に対する思い、技術がはっきりと形になる。
 この江戸指物が危機にひんしている。技術を持った職人はすでに高齢で後継者も激減している上、生活空間の西洋化が進んで需要自体がほとんどなくなり、完全に絶滅危惧文化と言える状況だ。江戸の町人や歌舞伎役者と共に受け継がれてきた江戸指物の文化は、まさに江戸の粋そのもの。この火が絶えない事を祈るばかりだ。

江戸指物家具 | 漆器と江戸指物の和家具専門店なら日本橋で創業80年の 小林宝林堂

 

4.江戸独楽

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 江戸独楽のイメージは黒と赤。シンプルな同心円の組み合わせが伝統の品の中にモダンな雰囲気を醸し出す。
 元禄時代、博多で行われていた博多曲独楽が上方を経て江戸に入り、大評判となった。その後江戸での曲独楽の定着とともに、独楽作りも盛んになった。これが江戸独楽の起源とされている。東北など地方出身のろくろが使える職人に、富裕な江戸の町人が資金を出して作らせていたらしい。町人文化の花開いた文化文政期に数多くの江戸独楽が作られ、最盛期を迎える。独楽づくりの基本的な技術はこの時期に確立した。
 江戸独楽は江戸五色と呼ばれる赤・紫・青・黄・桃色のいずれかの組み合わせが使われる。曲独楽に使う独楽には黒・赤・金筋が使われる。小さな色とりどりの江戸ひねり独楽もかわいらしいが、曲独楽用の独楽の色合いが持っている、極限まで色数をしぼりながら華やかさを失っていないバランスのすばらしさに魅了される。
 曲独楽の糸渡りの妙技とともに、江戸独楽の文化も継承されていってほしいものだ。

 原茂鵬松紹介

 

5. 染絵てぬぐい

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 今回選んだ名品の中では最も庶民的な染絵てぬぐいだが、江戸の粋を伝えるものとしては最適だろう。奢侈禁止令で絹織りの着物が禁止され、木綿の着物が作られるようになると、その端切れなどからも作られ普及し、生活用品として庶民にとって欠かせないものとなった。この頃から「手拭(てぬぐい)」と呼ばれるようになる。布に型紙で染めない部分に糊を付け、乾燥後に染める部分に土手を作り、その土手の内側に染料を注いで布を染める「注染染め」という伝統の技法で作られている。
 今で言うなら「マルチクリエイター」である、江戸の人気戯作者&浮世絵作家である山東京傳がある時、絵師、戯作者、女郎屋の店主、花魁、大名(!)などを呼び寄せ、会を開いた。持ち寄った手拭いを見せ合うという会だ。しかもそれは、それぞれ自分でデザインした手拭いだ。職種も身分も違う人達が、自分達の構想で作った手拭いを持ちよる・・・。江戸の人々の人生の楽しみ方のなんと粋なことか。
 この時のてぬぐいが収録された「手拭合」という図録が残っている。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2537594 (国立国会図書館デジタルコレクション)
 繋ぎ模様の反物の切れ端にすぎなかった手拭いが、デザインという価値を持った一個の作品となったのは、この会がきっかけだという説もある。江戸っ子達はこの「手拭いデザインの革命」にさぞやびっくりしたことだろう。
 ここに収められている山東京傳の有名な図案が復刻され、気の利いた東京のおみやげとして親しまれている。

 染絵てぬぐいのふじ屋_浅草のれん会


6. 江戸凧

 

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 浮世絵が流行し、それまで無地だった凧に絵を描いたらさぞや勇壮だろうと、武者絵などが描かれるようになったのが江戸凧の始まりと言われている。江戸錦絵凧とも呼ばれる。縦長の長方形の凧に染料、顔料を用いて描かれる。また凧絵師は凧作りの全工程を自分独りでこなす。骨組みから、最終的な微調整までする彼らはイラストレーターであり、プロダクトデザイナーであり、それを作る現場の作業者でもあるのだ。
 浮世絵や歌舞伎役者、干支、また昔話などを題材にしていた他、江戸文字や髭文字だけのシンプルなものなどもある。さまざまな題材が凧というキャンパスに自由な発想で描かれ、江戸の空を飛んだ。今ならさしずめヒーローアニメの主人公が空高く舞い上がるのを見て、子供たちは小さな胸をときめかせたことだろう。

臼倉正剛 新春和凧作品展

 

 7.江戸筆

 

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 筆の製法の伝来ははっきりしていないが、日本書紀に推古天皇の18年(610年)3月の条に高句麗僧曇徴が「紙、墨の製法を招来した」と記されており、この時に一緒に来たという説や弘法大師が持ち込んだという説もある。古くは京都・奈良を中心として、筆づくりの技法は発達した。江戸期に文化や経済の中心が江戸に移り、さらに中期以降、読み書き算盤という初等教育の場である寺子屋が爆発的に増加したことで、これを見込んで西の技術者が移り住み、江戸筆の文化が形成された。
 筆の種類や穂の毛丈に応じて行われる原毛の選別は、長年培われた職人の勘だけが頼りだ。筆の命と言われる穂先を作り出す「先出造り」は金櫛で梳きながら毛先を揃えていき、毛先の無い毛や逆毛を取り除く作業。命毛・喉毛・腰毛の束をつくり、その束から一本分を取り出して穂の形を作り出す「型造り」は毛の間のバランスを図り、穂先の美しさを出す作業で、高度の熟練を要する。毛丈の違う毛を均一にまぜあわせる「練りまぜ」は、穂の良否を左右する。こまを使って穂の芯を作り出す「芯立て」は、芯の固さ、穂先の弾力など、指先の感触を頼りに毛の量を調整する作業だ。このような作業を含め、一本の筆が出来上がるまでなんと36もの工程がある。それをすべて独りで行う。どれも熟練がものをいう精緻な作業であり、最低でも10年の修行、使い手の求めに応じられるようになるまで15年を要するという。文房四宝の一つである筆は、江戸で熟成され、今もなお伝統工芸として息づいている。

32 江戸筆(えどふで) 東京の伝統工芸品|東京都産業労働局

 

以上7種類の工芸品をご紹介した。これ以外にも江戸切子、江戸漆器、黄楊櫛、江戸和竿など、江戸の匠の技が現代に受け継がれている。100円ショップで大抵のものが手に入り、収納は数千円のカラーボックスで事足りてしまうこの時代に、一品一品魂のこもった高価な工芸品は、すでにどこかリアリティのない「芸術品」になりつつある。しかしそれではあまりに寂しいではないか。世界に誇る日本のものづくりは、こういう匠達の歴史の上に成り立っている。どれか一つでも、生活の中で今生きている道具として輝きを放つ場所を与えられたら、私達の生活に必ず潤いのあるものになるだろう。